2010年8月31日火曜日

厳しい残暑にはやっぱりソフトクリーム

明日から9月になろうというのに依然厳しい残暑が続きます。
しかしながらコオロギや鈴虫のような秋を感じさせる虫たちや、これまで暑すぎてか姿を潜めていた蚊などを見かけるようになってきました。
暑いながらも着実に秋は近づいているようです。

暑い時には冷たいものを取りたくなるわけですが山梨にもいくつかの特徴的なソフトクリームがあります。やっぱり暑い時にはソフトクリームでしょと色々食べ歩いているわけですが冷静になって考えてみると寒い時にも暖かくして冷たいものを食べたくなったりするので実際は年中食べていたりもします。

おすすめはいくつもあるわけですが年間を通していろいろな種類のソフトクリームを提供してくれるのは「道の駅とよとみ」です。

道の駅とよとみは今年度の直売所甲子園でも優勝を果たし道の駅の中でも大成功を収めているとのこと。

店内には、地元の豚肉から野菜やぶどう桃などのフルーツまで取り揃えられており、週末などは多くの人で賑わっています。

左の写真は道の駅とよとみの一番人気シルクソフトです。

シルクソフトは年間通して販売していますが、その他にももろこしソフトトマトソフト、いちごソフトなど季節に応じた限定のソフトクリームが出てくるので年中楽しめます。右の写真はかぼちゃソフトです。

いろいろなソフトクリームを出してくるのでついつい時期に関係なく行ってしまいます(笑)








次におすすめなのは信玄ソフト
武田信玄の地元だけあり信玄ソフトという名前はいろいろなところにあるのですが販売しているところによって内容は違っていたりします。
私が「道の駅ふじよしだ」で見かけたのは通常のソフトクリームにきな粉と黒蜜を掛けたものでした。
もちろんそれだけでも美味しいのですが、「八ヶ岳PA」や「道の駅南きよさと」にある信玄ソフトはその他に山梨の銘菓である信玄餅が乗っています。

ただでさえソフトクリームは甘いモノなのにそこにさらに黒蜜が掛かっているのでかなり甘いですが甘いもの好きにはたまりません。

その他PA繋がりで言うと、都留市にある谷村PAにはわさびソフトがあります。注文すると本わさびを擦ってソフトクリームに乗せてくれるのですがピリリと辛くて、でも甘くってこれも私が好きなソフトクリームの一つです。

その他にも清里には山梨県のソフトクリームの横綱である清泉寮があります。ここのソフトクリームは行列必至です。清泉寮の場合はここの他にも赤の大橋でも食べられ、そちらの方は比較的空いていますので、八ヶ岳高原ラインをドライブしていてついでにというのであればそちらに寄るほうがいいかもしれません。清泉寮(キープ協会)からもすぐで、道をさらに登りつき当たりを左に行くと左側にお店が出てきます。橋の手前です。個人的にはここで紹介している他のソフトクリームは清泉寮よりも好みのモノばかりだったりもするんですが。

その他にも清里にはミルクランドあり、こちらでは名前の通りミルクを沢山使ったあっさりめのソフトクリームが楽しめます。こういうさっぱりめも夏の暑いときには美味しいものです。
清里の萌木の村とも隣接しており、オルゴールのホールオブホールズの東(裏)側になります。ともにこの森内にあります。

その他このエリアだと、山梨ではないのですが国道141号線をさらに北上した野辺山にあるヤツレンでしょうか。今年のNo1です。味は清泉寮の甘さとミルクランドの牛乳らしさを足して二で割ったような感じ。とても好みの味でした。ここも牛乳メーカーなのでミルクの味がしっかりしていて美味しいです。野辺山には正直あまり観光施設がないのですが、JR最高標高地点と野辺山電波望遠鏡があります。清里ともそれ程はなれていないので機会があったら足を伸ばしてみるのもいいでしょう。

2010年8月30日月曜日

武田家終焉の地、景徳院

甲州市(旧大和村)の日川渓谷にある景徳院は武田家終焉の地として有名です。
武田勝頼が小山田氏の裏切りにより笹子峠を超えることができずに田野にて自害しました。
ここが景徳院と呼ばれるのは勝頼の法名が「景徳院殿頼山勝公大居士」が由来です。

勝頼の没後、徳川家康により勝頼の菩提寺として建てられ婦人や信勝と共に眠っております。
最近では墓の近くから文字の書かれた石などが出土し県立博物館に展示されているそうです。

総門は2度の火災があったものの当時のまま残っています。
この門のところには桜の木があり春には見事な花を咲かせます。

日川をさらに上っていくと右側に天目山栖雲寺がありますが、ここも武田家の菩提寺としてゆかりのあるお寺です。
勝頼も小山田氏により大月市にある岩殿山への道を絶たれたあと栖雲寺を目指して日川を上っていたようですが、たどり着くことはできず田野にて自害することとなりました。



勝頼は戦に敗れ自害したことなどから無能な武将と言われることもありますが
実際に勝頼が完成後3ヶ月で火を放ち後にしなければならなくなった新府城は
城内が迷路のように設計されており下水設備なども完備した技術力の高い城であったことが
現在の調査などでわかっています。

2010年8月24日火曜日

富士山信仰と御師宿坊

富士山は昔から霊峰と崇められ人々の信仰を集めてきました。
今でも富士山には年間20万人以上が登ります。

富士吉田市は昔から多くの富士登山者を受け入れてきましたが、自宅を宿坊として提供し富士登山において祈祷などの宗教的役割も担う御師も多くおり、御師宿坊の街並みも残っています。
最盛期の江戸時代には86軒ほどの御師の家があったそうですが、今でも残るのは15件ほどで富士山信仰の宿坊として利用されているものはほとんどないそうです。
博物館付属施設として旧外川家住宅では当時のその様子をうかがい知ることができるはずです。


江戸時代、庶民の旅は制限されていましたが神社仏閣を巡ることは認められていました。
そこで人々はこれら神社仏閣を訪れる名目で旅に出ていたといいます。

今では富士山も5合目まで車であっという間に行くことが出来ますので日帰り登山も充分可能になりました。
しかし、富士山信仰をちょっと学んでみてから登ってみると、同じ山の同じルートであってもまた違った楽しみ方が出来るようになるのかなと思います。


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