2010年8月30日月曜日

武田家終焉の地、景徳院

甲州市(旧大和村)の日川渓谷にある景徳院は武田家終焉の地として有名です。
武田勝頼が小山田氏の裏切りにより笹子峠を超えることができずに田野にて自害しました。
ここが景徳院と呼ばれるのは勝頼の法名が「景徳院殿頼山勝公大居士」が由来です。

勝頼の没後、徳川家康により勝頼の菩提寺として建てられ婦人や信勝と共に眠っております。
最近では墓の近くから文字の書かれた石などが出土し県立博物館に展示されているそうです。

総門は2度の火災があったものの当時のまま残っています。
この門のところには桜の木があり春には見事な花を咲かせます。

日川をさらに上っていくと右側に天目山栖雲寺がありますが、ここも武田家の菩提寺としてゆかりのあるお寺です。
勝頼も小山田氏により大月市にある岩殿山への道を絶たれたあと栖雲寺を目指して日川を上っていたようですが、たどり着くことはできず田野にて自害することとなりました。



勝頼は戦に敗れ自害したことなどから無能な武将と言われることもありますが
実際に勝頼が完成後3ヶ月で火を放ち後にしなければならなくなった新府城は
城内が迷路のように設計されており下水設備なども完備した技術力の高い城であったことが
現在の調査などでわかっています。

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