2010年9月28日火曜日

秋晴れ八ヶ岳、今年最後のソフトクリーム。

いつまでも残暑が厳しいと思っていたら、ここ数日めっきり寒くなりました。

今いかないともう楽しめないと思い、今年のお気に入りだった野辺山のヤツレンへ今年最後?のソフトを楽しみに行ってきました。

途中、北杜市高根町は秋の実りを至るところで収穫していました。
当日は、雲ひとつない秋晴れ。収穫日和でした。










ちなみに野辺山の気温は12度。もうソフトクリームを食べる時期じゃありません。
山梨から薄着で行きましたがもう一枚羽織らないと寒いぐらい。
写真を撮ってすぐ車に退散しました。

ちなみに写真のソフトクリームは上がソフトで底にヨーグルトが入っています。個人的には底のヨーグルトが無糖なのでソフトでヨーグルトをサンドしてくれるとなおいいなとわがまま思ったりしますが。





もう甲府から考えると向こうは冬といった感じでした。
今のうちに秋を楽しまないと。

2010年9月18日土曜日

秋の前のビーナスライン




まださすがに秋の紅葉には早いとわかりつつもビーナスラインへ行ってきました。

天気はそれ程よくなかったのですがそれでも、雲間からは頻繁に太陽が顔を出しており現地では残暑を凌ぐことができました。

同じ海なし県である長野県ですが、やはり山の雰囲気が山梨とはまったく異なるので、山間をドライブしていてもまた違った感覚を楽しむことが出来ます。






いくら残暑が厳しいとはいえ、秋が残暑と共に顔を出します。

霧の駅でも赤とんぼを多く見受けました。

このように至る所で赤とんぼが羽休めしています。














また、休憩施設である霧の駅の少し離れたところにはグライダーの滑走路があり、3機ほど上空を飛んでおりました。

ビーナスラインのさらに上からみる白樺湖や美ヶ原はどのようにみえるのでしょうか。

滑走路の周辺にも多くのすすきが生えていましたが、よく考えたらもう彼岸ですね。

残暑が厳しく十五夜という感覚もありませんでしたが秋なんですね。





紅葉シーズンになるとビーナスラインは大混雑ですがまた秋に来れたらいいなぁと思います。

2010年9月14日火曜日

武田家最後の未完城、新府城

甲府盆地の西にある韮崎市を二つに区切るのが七里岩と呼ばれる台地で、新府城はその七里岩を石垣とし、その脇を流れる釜無川を堀として武田勝頼により築かれましたが、完成後わずか3ヶ月で廃城として逃げなければならなくなった悲劇の城として有名です。

地元山梨県内でも武田信玄の功績があまりにも大きく、逆に勝頼は武田家を滅亡させた者として評価されていない面も多々あるのですが、この新府城の設計を見てもそれは眉唾ものだったと言う人もおります。

実際に新府城に訪れてもらえばわかりますが、釜無川の削った高い崖の上に築城されておりここを攻めこむことはまず不可能でしょう。断崖は129mもの高さがあります。東側も多少の平野のあとはガクッと低くなっており、北には能見城、南には白山城、東には日之城を備えています。

もともと、当時の戦も農民たちの力を借りなくては成し得ることができず、そのことで戦を行える期間というのは限られていました。しかし武田信玄の死後、織田信長は兵農分離を断行し大規模作戦を可能にしたことで、勝頼は織田の苦渋を舐めることが多くなっていきました。
そのような現状から、当時の館である躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)では防衛に不安があったことから、大規模な新しい城府を構える必要性を感じ韮崎の七里岩南端に新府を構えることとなったわけです。

しかしながら、武田軍内部の謀反や寝返り、離反が相次ぎ、わずか3ヶ月でこの城を機能させることなく焼き払わねばなりませんでした。

ただここから逃げた勝頼も、小山田氏の裏切りにより笹子峠を超えて大月市にある岩殿城に入ることが出来ず、結局田野(甲州市)にて自害することとなり今は景徳院に眠っています。